「新人類高齢者」を知っていますか
誰もが身に付けるべき人生90年の基礎知識とは

2014年08月01日日経ビジネス ON LINE

 高齢化で世界のトップを走る日本。だが「人生90年」をどう生きるかのモデルはまだない。65歳から90歳までの多種多様なライフスタイルやニーズに対応する商品・サービスの開発、インフラや制度の整備もこれからだ。東京大学高齢社会総合研究機構(IOG)の秋山弘子特任教授は、「個人と社会の高齢化」に関する問題を幅広く扱うジェロントロジー(老年学)が今後、高齢者だけでなくあらゆる人に必要な基礎知識になると言う。
(聞き手は秋山 知子)

──ジェロントロジー(老年学)という学問があるということを最近まで知りませんでした。秋山先生は米国の大学で長くジェロントロジーを研究しておられますが、米国では普通によく知られた学問領域だそうですね。

秋山:今では米国の主要な大学には研究所があります。呼び名はいろいろありますが、やっていることはどれも似ています。ジェロントロジーを内容的に大きく分けると、個人の高齢化、そして社会の高齢化。この両方を対象にしています。

 先行したのは個人の高齢化の方です。バイオメディカルの分野で、いかに寿命を伸ばすかが長年研究されてきました。20世紀後半に、日本の場合は平均寿命が30年も伸びました。同時に出生率が低下して少子高齢化になりました。社会の中に高齢者が占める割合が高くなるといろいろな社会問題が起きてきます。あらゆるインフラが、人口の年齢構成がピラミッド型だった時代のものなので、社会ニーズに対応できなくなってきて、そのあたりから個人と社会、両方の高齢化について研究するようになりました。

 当初は長寿化とか、老化をいかに抑えるかばかり研究していましたが、今や日本人の平均寿命は男性は80歳、女性は87歳です。寿命を伸ばすよりもどう生きるか、クオリティ・オブ・ライフ(QOL)をいかに高めるかの方にシフトしてきました。QOLは医学だけでは解決できません。心理学や工学、建築・デザイン、経済学など、非常に学際的な学問になってきました。

 現在、ジェロントロジーの研究教育活動を行っている東京大学高齢社会総合研究機構(IOG:Institute Of Gerontology)には、様々な領域の専門家が80名以上かかわっています。

──そのIOGが作成されたテキスト『東大がつくった高齢社会の教科書』を拝見して、カバー範囲の広さにびっくりしました。これだけ分野横断型の研究というのは縦割り構造の日本の大学ではなかなか難しいと思います。世界で最も急速に高齢化が進んだ割に、日本でジェロントロジーへの取り組みが遅れたのはそうした理由でしょうか。

秋山:それもあります。日本同様、ヨーロッパの伝統的な大学でも横断的な部門は作りにくいようです。米国の大学は比較的、部門のスクラップ・アンド・ビルドがやりやすいので先行したという面はあるでしょう。

 もう一つ、こういう学問は何か課題があるからできるものです。日本の場合は寿命が伸びて高齢者が増えましたが、基本的に家族が面倒を見るという伝統があったので、社会問題として顕在化したのが遅かったと思います。米国は基本的に高校を卒業したら高齢者も含めて自立して生活するのが当然と考えられており、高齢者の問題が早く顕在化したということがあるでしょうね。

「年齢の縛り」が人生90年で崩れ始めた

──先ほど、ジェロントロジーは「個人の高齢化」と「社会の高齢化」の両方の問題を扱うとおっしゃいました。社会の高齢化問題は誰が考えてもそうですねと思うでしょうが、個人の高齢化を扱う際、日本では「年齢」とか「若さ」をすごく重視するように思います。実際に高齢であっても「後期高齢者」などと呼ばれると憤慨する人もいます。秋山先生は長く米国で生活されていますが、日本と米国ではそうした心理的な違いがあるのではないでしょうか。

秋山:若さに価値を置くという点では、米国の方が上だと思いますよ。80歳になっても若作りの服を着る人は珍しくありません。若くセクシーなことがとても価値があると見なされています。

 日本の場合は、個人の生き方が年齢によって縛られてきました。何歳ぐらいまでに結婚するのが当たり前とか、何歳までには就職してなければとか。以前はリタイアしたら盆栽の手入れでもしているのがまともで、その年齢から何か新しいことをやろうとする人間に対しては「年甲斐もなく」とか「年寄りの冷や水」とか、いろいろな表現がありますよね。服装も、今でこそずいぶん自由になってきましたが、昔は60歳過ぎて派手な服を着ると周囲の目が厳しかったり。

 人の生き方に1つのレールが敷かれていて、そこから逸脱した人には軌道に戻るようにプレッシャーがかかりました。そうした社会規範は崩れてきているし、何より違うのは、かつて人生50年、60年だったのが今は人生90年になってますから、もともと60歳以降のレールはありませんでした。

──実際、今の60代は驚くほど若々しい人が多いですね。

秋山:私が子供の頃は60代は腰が曲がった人が多く、心も体も枯れた感じでした。今の60代は「中年」ですね。

──1992年と2002年の高齢者の通常歩行速度を比べると、男女ともに11歳若返っている(現在の75歳は10年前の64歳に相当)という資料がありますね(鈴木隆雄他「日本人高齢者における身体機能の縦断的・横断的変化に関する研究」)。

秋山:その一方で、昔より心も体も若々しい高齢者たちがこれからどう生きるかというモデルはありません。盆栽だけやっていたらエネルギーが余ってしまいますよ。定年後は余生ではなく、セカンドライフです。十分もう1つ、キャリアを持てます。そういう時代に移行しつつあります。しかし、自分で人生設計して軌道修正しながら生きるというのは、これもまたなかなか難しいものです。

──そのため、ジェロントロジーをまず自分自身のために勉強するというのはありですね。高齢者だけではなく、これから高齢者になっていく人たちも。

秋山:そうですね。個人の高齢化は産業界や行政の課題にも直結します。よく大企業のトップの方が来られて、「これからどういうものを作っていけばよいか」とおっしゃるのですが、「高齢者からこういうものを欲しいと言われて作るのではなく、こんな素敵な生き方ができますよと商品やサービスをつけて新しい生き方を産業界から提案していくべきです」と申し上げています。行政にしても、様々な制度が「人々が90年、結構元気で生きる」ということを前提にした仕組みになっていません。

──就職してから退職するまでと同じぐらい残りの人生が長かったりしますからね。

秋山:高齢者は人材の宝庫ですよ。非常に豊かな資源があるのに、それを活用する社会の仕組みができていない。教育制度などはその一つです。

 若い人の教育も無論大事ですが、長い人生を軌道修正しながら、時にはキャリアも1つではなく2つ3つと持つためには、常に学ぶための機会が必要になります。大学もどんどん開放していかなくてはいけないし、教育産業界にとっても非常に大きな市場になると思います。

「高齢者」の中にものすごい多様性

──昨年から始まった「高齢社会検定試験」は、そうした取り組みの土台になるジェロントロジーの知識をあらゆる人に身に付けてもらうのが狙いだそうですね。

秋山:新しい商品やサービス、教育の場などによって、社会の中に多様な機会を作っていくことが重要です。産業界や行政の方、一般の方にも、個人の高齢化と社会の高齢化に関する基礎知識をぜひ持っていただきたいですね。今年も9月に高齢社会検定試験を行うのですが、それがあると勉強する動機付けにもなると思います。

──産業界で言えば、団塊世代が引退すると巨大なマーケットが出現するから、さあそれに向けてどんなものを提供するかという時期がありました。5、6年前でしょうか。でも振り返って、何かあったかというと、これといったものがなかった。やはりニーズがつかみきれなかったのでしょうか。

秋山:高齢者、特に75歳以上の高齢者は昔は少数でした。今や、平均寿命を考えると大多数の人がいずれ75歳以上になります。現在の高齢者はいわば「新人類」なので、まだよく理解できていません。データもない。科学的にデータを集積して、それに基づく政策作りやモノ作りをしていくことが重要です。

 今までは勘でやってたんですよ。自分の周囲の高齢者を見て、だいたいこんなものかなと。

 ところが現代の高齢者は極めて多様です。65歳の人と90歳の人は親子ほど年齢が違います。それを一からげにして「高齢者用のなんとか商品」を作ろうとしてもそれはうまくいきません。しかも、同じ年齢の高齢者でも非常に多様性があります。健康状態、経済状態、ライフスタイルの多様性を理解して、それに対応したものを作っていくというのは非常に難しい。

 産業界で一番高齢者対応に火がついているのは日本だと私は思います。非常に関心が高まっていて、広い分野の企業が様々な取り組みをしています。

──そうした企業のビジネスパーソンにぜひ、こうした勉強をして検定を受けてほしいと。

秋山:商品・サービスの開発だけではなく営業や、接客対応をする人にも必要でしょう。小売業や金融業など、お客の大半が高齢者になってきている業種も増えてきています。

 私の母は今93歳ですが、あの年代の人たちは80代後半でクラス会をしても結構集まるんですね。初めてですよ、そういう年代は。

 団塊世代の上の世代が長生きをするようになり、そういう姿を見ていると、これから自分がどういうふうに生きていくのか予想と計画を立てられるようになる。

 例えば家をリフォームする際も、今の生活だけでなく、これから30年この家で住むなら、徐々に体が弱ってきても自分でトイレに行ったりお風呂に入れたりするようにしておこうとか、考えるようになります。

 団塊世代がリタイアし始めた時に、豪華なホームシアターを作ったり趣味や旅行にお金をかけるんじゃないかという予想がありましたが、自分の親を見ていればもっと堅実にお金を使うのではないでしょうか。そうしたニーズに対していいものを提供していけば市場は広がるでしょう。何となく、お金があって時間もあるんだから派手に楽しむだろうと思うなら、それは違いますね。

──高齢者にいかにお金を使わせるかみたいなところに話が行っていましたよね。

秋山:余生が残り10年ならともかく、30年生きることを考えると誰だって堅実になるでしょう。しかも、団塊の親の世代は、子供に面倒を見てもらうことをよしとする世代でしたが、団塊世代は夜トイレに行くのにお嫁さんや娘に介助してもらうのを幸せとは思わないでしょう。自分でできる限りやりたいと思えば、そのための準備はちゃんとするはずです。

長い第2の人生の「働き場」作り

──ところで、IOGの取り組みの一つに高齢者の就労プロジェクトがあります。中でも先行して成果を挙げているのが千葉県柏市での取り組みだとお聞きしました。現在はどのような状況ですか。

秋山:柏は、既存のまちを高齢社会対応の町に作り替えるという社会実験の場です。始まってもう4年ほどになります。いくつものプロジェクトがあってそれぞれ進捗は違いますが、ある程度の成果も出てきて、国からもモデル事業とされています。柏は都心から30km圏の典型的なベッドタウン。他にも同じような町がたくさんあるので、今後こうした形のモデルを全国に広げていく方向です。在宅医療・介護のシステムとか、都市部における高齢者の活躍の場作りですね。

──例えば就労事業の中に農業がありますね。柏周辺は農地が多いので、農業は結構取り組みやすいのでしょうね。

秋山:どういう高齢者の働き場を作るかは、その町にどんな資源があるかによります。柏の場合は休耕地が埋もれた資源でした。私の住んでいる鎌倉には休耕地はありませんが観光という資源がありますから、観光で高齢者ができる仕事がいろいろありますね。

 まずはどういう課題があり、どういう資源があるかを洗い出すのがまちづくりの基本です。課題を解決するためにまちが持っている資源をどのようにうまく活用していくか、それに尽きますね。

──高齢者の活動の場というと昔から「シルバー人材センター」があると思いますが、それとはまた違う視点からやっていくということですか。

秋山:シルバー人材センターの前身「高齢者事業団」は1975年にできました。当時はまだ人生60年時代でした。定年後の人生はそれほど長くなくて、盆栽作りのほかにちょっと簡単な大工仕事とか、駐輪場の管理業務とかを請負でやればいいと。でも、退職してから30年ぐらい人生がある今の高齢者にとっては、そういう仕事は魅力がないんです。高齢者はどんどん増えていますが、退職したらシルバー人材センターで働くぞと思っている人はほとんどいないでしょう。むしろ、新しい高齢者のニーズに合った仕事や仕組みを開発していくべきなんですね。団塊世代のニーズに合うような形で仕事や働き方を作っていく、そういうふうにシルバー人材センターが変わる必要があると思います。

高齢者が地域で働けば地域も活性化

──柏の場合はどうなんですか。

秋山:徐々に変わりつつあります。新しくコーディネーターを2名、シルバー人材センターに我々から派遣して、予算も外からつけました。

 定年退職した団塊世代の人たちは、地域に知っている人がほとんどいないのです。朝仕事に出かけて、夜帰ってくる生活を何十年もしてきたので。退職した方々が口をそろえておっしゃるのは「することがない、行く場所がない、話す人がいない」。そのうち何かやろうと思いながら家にいてテレビ見て、時々犬の散歩に行くとかジムに行くという生活をしている人がとても多いんですよ。60代で元気もあるし知識もあるのに、ずっと家にいると筋肉も脳も衰え始めるので、本人にとってもよくないし社会にとっても損失なんです。

 とにかく家から外に出て、人と交わって活動してもらいたいと始めたのがこの高齢者就労の事業なんです。まずは敷居を低くして、こういうのだったら自分もできると。しかも自分で時間を決めて働ける。月・水・金は働いて、火・木はゴルフに行くでもいい。しかも家から歩いて行けるところに仕事があるならちょっとやってもいいかな、となっていただきたい。

 一度そうやって外に出ると仕事仲間ができます。そこで話をしていると、自分が住む町でどのようなことが起こってどんなニーズがあるということが分かる。そうするとかなりの人たちが次のステップを自分で考えて、それまでの経験などを生かして新しいことを始めるんですね。

 休耕地を活用して農業をしていた方が、農家が税金の計算で困っているのを見て経理を手伝ってあげたら、他の農家からうちもうちもと頼まれて、農家の経理処理を代行する事業を立ち上げた例もあります。

 小中学校で理科の実験の助手をやっておられる方もいらっしゃいます。現役時代は製薬会社の研究所の要職にあった方ですが、今あちこちの学校からひっぱりだこです。学校の理科の先生には、実験のトレーニングを受けていない人が多いんですね。

──学校の理科実験の助手ですか。子供たちから尊敬されそうですね。

秋山:本人は最初は週に2、3回のつもりだったのが今は週5日になっているそうです。先日、内閣官房で高齢者就労について話をしてくれと言われたのですが、実際に働いている人にもお話ししてほしいと思ってその方に一緒に行っていただくよう頼みました。ところが、とにかくお忙しいらしくて。

 これまでは研究所勤めで周囲に子供がいなかったのが、そうやって子供に教えたり学校の先生に教えたりするのがかなり生きがいになっていて、一生懸命やっていらっしゃいます。

──新しい高齢者と高齢社会について、断片的には知っていても体系的には知らないのだと気づかされました。

秋山:既に人口の3分の1が高齢者ですし、2割が75歳以上というのは大変な状況ですよ。既存のインフラでは当然うまくいかないので、産業界にとってはある意味大きなチャンスです。他の先進国も日本に続いてどんどん高齢化していきますから。

秋山弘子(あきやま・ひろこ)氏 東京大学高齢社会総合研究機構特任教授。1978年、米イリノイ大学Ph.D取得。87年、ミシガン大学社会科学総合研究所研究教授。97年、東京大学大学院人文社会系研究科教授。2006年、東京大学総括プロジェクト機構ジェロントロジー寄付研究部門教授。2009年から現職。